2ヶ月でカラーコーディネーター2級合格を目指す(その1:産業革命以降の建築 前編)

いつだったかに買った色彩検定3級の本が気になって仕方なかったので、じゃぁ色彩検定受けてみます?と思ったのですが、どうもメーカーに勤めている人間には、服飾系の色彩検定よりも、インダストリアルデザイン系のカラーコーディネーター検定の方がいいんじゃないかという風に思い直し、今に至るわけです。
そんな気楽な気分で、垣田玲子「カラーコーディネーター2級」を買ってきたわけだが、ヤバい、これはちゃんと勉強しないと受からない。てっきり色に関する知識だけかと思ったら、思いっきりデザインじゃぁないですか。
てな訳で、今回は建築史におけるデザインということで、産業革命以降の建築を写真で見ていこうと思います。写真のソースは全てウィキメディアです。便利な世の中になったものだ。

19世紀後半

ラブルーストの閲覧室(フランス国立図書館

グラン・パレ

オルセー駅(現・オルセー美術館


デザインは技術の発展と共にあるというのを感じますね。産業革命で良質の鉄鋼やガラスを建材として使えるようになったから、こういうのが生まれてこれたわけです。旧来の建築様式との融合ですね。

赤い家


「グリーン・ダイニングルーム」はフリー写真が見つからなかったのでご勘弁を。代わりにトリニティ教会のステンドグラスを貼っておきます。このようなステンドグラスや壁紙が作れたのも、技術の発展のお陰なわけです。

19世紀末から20世紀初頭

タッセル邸

パリのメトロ


上2つが19世紀後半のアール・ヌーヴォーの作品。

グラスゴー美術学校校舎

ヒルハウス

ウィロー・ティールーム


以上が19世紀末に興ったグラスゴー派の建築。グラスゴーは英国はスコットランド地方の地名であり、ヨーロッパ全体から見れば辺鄙な場所です。20世紀前半から始まるアールデコの片鱗は、島国のはずれから始まったと言っていいのかもしれません。

マヨルカハウス

ストックレー邸


以上がゼツェッション(分離派、ウィーン分離派)の建築群。こちらの名前における「分離」とは、ウィーンにおける旧来の建築様式からの分離であり、内容としてはアール・ヌーヴォーやモリスのアーツ・アンド・クラフツの影響を受けているわけです。ベルリンやウィーンは、当時のヨーロッパからすれば東のはずれでしたから、こちらもやはり辺鄙なところで起きた芸術の変化だったわけです。

20世紀前半からアールデコ建築へ

ホワイトシティ


ルイス・サリヴァンと言えば、19世紀末のアメリカにおいて活躍した建築家です。第三次産業の発展により多くの人が都市部に集中するようになったこの時代、鉄鋼が安価な建築資材として多用できるようになり、高層建築が可能になる。大火に見舞わせたシカゴの復興は、この高層建築の試みとマッチし、高層建築がたくさん建てられた。後にシカゴ派と呼ばれる所以である。サリヴァンの代表作は下の写真のオーディトリアム・ビルディング。

一方で、シカゴ万博の建築はそのほとんどが旧来の様式主義であり、当時を回顧したサリヴァンは、このシカゴ万博によってアメリカの建築は「最低でも半世紀は遅れた」と発言している。

ダナ邸

ヴァイセンホーフ・ジードルンク


この時代の建築はとにかく機能主義、合理主義一辺倒。不要な装飾をどんどん排除してく。しかし次第に、その中にいかにして「美」を付加させるかという流れになっていき、「インダストリアルデザイン」の揺籃となっていく。所謂「機能美」が大衆化したのはこの時代であると言っても過言ではないだろう。詳しくはこの時代の工業デザインを参照すると良い。

自邸(メーリニコフ邸)


一方こちらは、キュビズムに代表される構成主義の流れを受けた、ロシア・アヴァンギャルドの建築。幾何学的なラインの建築は後のアールデコと似ているが、色使いはやはり北国ロシア的。この作風の建築は少なく、それはソ連成立による社会主義と文化革命の影響を無視できない。西欧ではこの後半世紀に渡り、ピカソマティスに代表される近代美術が華やいだことを踏まえると、中々惜しい気持ちが抑えられない。

植民地博物館(現・国立移民史博物館)

近代美術館

シャイヨ宮

山の上ホテル


以上がアールデコの建築であるが、後半の2つは日本の建築であるだけでなく、形状は本場アメリカ北東部のアールデコを受け継ぎつつ、色付けは金属色や原色ではなく、淡いパステルカラーを用いられた「トロピカルデコ」という、アメリカ南東部で生まれた様式で設計されている。