2ヶ月でカラーコーディネーター2級合格を目指す(その5:ファッションデザインの変遷 前編)

今回は服飾の歴史(ファッション史)についてです。

オートクチュール

オートクチュール以前の服飾は、ギルド文化の中での分業制であり、洋服を欲しい人が、生地屋に生地を買いに行き、仕立屋で採寸をしてもらい布を仕立ててもらい、最後に針子に縫い合わせてもらうという、システムでした。洋服のデザインをするのは専ら消費者自身であり、生地屋や仕立屋は自分の領域でしか仕事をしないのが一般的だったのです。
オートクチュールは、洋服のデザインをデザイナーが仕切り、消費者にはデザインを見せ、気に入ってもらったデザインを元に、生地を選び仕立てを行うというシステムです。
C.F.ウォルトがオートクチュールの仕立て店を組織化したものがシャンブル・サンディカであり、シャネルやディオールは現在もこの組織の一員です。特にシャネルは、全てを手縫いで行っていたオートクチュール文化が、品質が急上昇した既製服(プレタポルテ)に押されていく中で、大資本を投入してその維持をはかった訳で、シャネルなくして現在のオートクチュールはないのです。

20世紀前半

M・ヴィオ


ヴィオネはバイアスカットの産みの親と言われており、洋服全体にバイアスカットを採用したのは彼女が最初だと言われています。今まではコルセットが洋服のラインを規定していましたが、このコルセットを使わずに、伸縮性の高いバイアスカットを洋服全体に採用することで、着る人の体のラインに沿った洋服が生まれました。

M・フォルチュニィ

フォルチュニィはスペインのデザイナーであり、父親は画家のM・フォルチュニィ(同名)であり、息子も絵画を始めたとした様々な芸術に取り組んでいた。有名な作品に「デルフォス」がある。下の写真はフォルチュニィがデザインしたティーガウンであるが、このように、絹にプリーツを施した作品を多く生み出している。

シャネル

言わずと知れたフランスの大ブランド、シャネル。日本では高級ブランドの代名詞のひとつですね。芸能界への道を諦めたココ・シャネルが気まぐれから始めた帽子屋が始まりで、服飾、香水へと手を広げていった。「シャネル・スーツ」「シャネルの5番」は有名。特にシャネル・スーツは、女性の服飾における固定概念からの解放という意味で、ヴィオネのバイアスカットと似た性格を持っている。

ブルームズベリー・グループ

ブルームズベリー・グループは、20世紀初頭から第2次大戦期までイギリスに存在した、学者や芸術家からなる集団であり、左派・平和主義を掲げていた。グループとしての功績よりも、所属していた(とされる)メンバーの功績が個別に評価されることが多い。R・フライやC・ベルがフォーマリズムの美術評論家として有名ですが、それよりも、この時代のポスト印象主義に属した画家、ゴッホセザンヌマティスゴーギャンの方が一般に有名かもしれません。下の作品は画家でもあったフライの作品。

アールデコ

ソニア・ドローネ


ソニア・ドローネは画家として有名です。夫ロベール・ドローネも画家であり、夫婦とも似た画風の作品を残しています。絵画意外にも様々なものに同じ趣向のデザインを残しており、衣服のデザインも行っていました。下の写真は車にデザインしたもの。